manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

教育と学び

みなさん、こんにちは。

 

昔からの学びを振り返る機会がありました。私は田舎育ちですので、小中学校は普通に授業を聞いて、テスト勉強をすれば、クラスの上位にいるような感じでした。高校時代も大学受験に向けて塾と独学でミリミリ勉強をしていましたので、受験に必要となる科目は文字通り寝ていても大丈夫で、そうでない科目は赤点ギリギリでもよいか、という構えで過ごしていました。

 

自慢しているわけではなく、今にして思うともったいないのですが、テストや成績がどうかに拘り、非常に勿体ない学びの体験だったように思います。典型的な「覚え学習」で、テストでよい点を取るために頻出問題の傾向を分析し、テクニックを身につけていた訳であります。また、大学に入った後も、これまた典型的な「調べ学習」でして、卒論なんかも今にして思えば、とても恥ずかしくて読めたものではありません。

 

基本的なスタンスとして、知識は先生から与えられるモノであり、学ぶとは記憶することと捉えていたように思います。学問の体系を総合的に捉え、分析的に洞察し、そこから新たな解釈を導き出す、そんなことは逆立ちしてもできませんでしたし、そもそも、そうしようとも思っていなかったでしょう。もっと言えば、求められているとも思っていませんでした。学び=記憶という思い込んでいたことが、とても勿体無いことでした。

 

さて、そういう「学び」の姿勢を社会人になって、いろいろな経験や振り返りをする中で見直していった訳なのですが、ひとつはサッカーを通じて学んだことが多かったように思います。当然、サッカーも理論があって、それを理解する訳ですが、それだけでは試合ではなんの役にも立ちません。技を体得し、状況を判断し、局面を打開してなんぼというわけです。実際にできなければ意味がない世界ですね。

 

もう一つの機会としては、社会人になってからの「学ぶ」機会があったように思います。社内の場はどちらかというと、学校の延長線上にあるような機会が多かったのですが、大企業の同じ役職の皆さんが集まる「ビジネス塾」は得るものが大きかったように思います。教師の講義もよかったのですが、それを上回るほどよかったのが、仲間からの「学び」でした。

 

異なるバックグラウンドを持った、異なる業種の異なる職種の皆さんと語り合うことは本当に刺激的でした。自分の見ている世界は限られていて、さまざまな経験と専門知識を持った人たちと交流することで、自分と自分の思考、そして学びのスタイルを改めて見つめなおすことができたように思います。

 

ついでに言いますと、やはり今の会社で、役員の立場で誰から何かを指示されることなく、考えて指示を出し、結果が出るか出ないかを待つようなことも大いに学ぶところがあります。これまで経験したことがありませんし、これが正解ということもありません。打てば響くかもしれないし、響かないかもしれない。自分だけではなく、会社も成長できるようなことは、なんだろうかと日々考え、行動していくことには大きな学びがあるはずですね。当然なのですが、すぐには結果は出ませんし、成長実感もありませんので、気持ち悪いことこの上ありませんが笑