manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

自分で得た感覚

みなさん、こんにちは。

 

先日、Over40のチームに混ざってサッカーしてきました。若い頃は違うチームに混ざって助っ人していましたが、流石に最近はそのような機会はほとんどありません。ですので、とても貴重で新鮮な経験でした。練習試合の中でいつもと異なる感覚を得て、なるほど、こういうことかと膝を打つことがありました。

 

具体的にいうと、中盤でボールを受けた際にサイドバックに出したパスのコースなのですが、いつもよりも前の方に軽いタッチでパスを出してしまいました。いつもの感覚だと、ちょっと前に出しすぎたかなぁというところでしたが、サイドバックの前に敵も味方もいなかったので、ちょうどよいパスになり、なるほど、こういうことなんだなと感触を得ました。トラップに集中して足元を見ていたり、体の向きが悪かったりした際には、あのようなパスは出せません。何が言いたいかというと、パスを受ける際の姿勢と視野が大切だということなのですが、本題はこれではなく、今回のような自分で得た感覚が大切だということです。

 

いつものように同じ仲間に囲まれてサッカーをしていた際には、いつものように一生懸命走り、守り、長年連れ添った仲のよい人にパスを出すので、このような気づきはないでしょう。慣れ親しんだところにボールを受けにきてくれるはずの味方がいて、そこに味方がいない場合は、とりあえず、大きく前に蹴るかなと、知らず知らずのうちに同じパターンになっていたのだと思います。違う環境に自分を置いて、そこでどんな経験をして、何を得るのか。このような体験が大切だと思います。

 

前置きが長くなりましたが、仕事の方に目を移すと、同じような光景があります。同じ上司、同じ仲間に囲まれて、何十年と同じ仕事をしていたとしましょう。失敗した際には上司も部下も助けてくれる、部下が失敗しそうなこともある程度わかる、困った時の上司の頼り方も慣れている、このような環境では、日々、流れていくことが多く、新たな自分に気づく機会も少ないでしょう。新たな自分は当然ながら、よい自分もありますし、不十分な自分もあります。そんなに簡単に完璧な自分にはなれないのですが、同じ環境にいると、自分は完成していると感じてしまうこともあるでしょう。とはいえ、会社経営やビジネスはそんなに簡単なものではありません。

 

ということで、不十分な自分に自分で気付く機会を意図的に作り出すことも、企業経営においては重要なのだと思います。異なる環境に身を置かせ、そこで新たな仕事を経験して自分の不十分を知る。もしかすると、ラッキーパンチがあって、新たな自分を生み出せて喜ぶことがあるかもしれませんし、そこで日頃ではあり得ない失敗をしてしまうかもしれません。

 

自分を中心に物事を見てしまうと、「できないこと」が悲しいので、つい言い訳をしたくなることも多いでしょう。自分は悪くないと。そうなんです、そこでの失敗は悪いことではありません。その経験を振り返って、何を感じて、どう次の自分を変えていくかを考え、自分を新たにして行くためのよい経験として、折角の機会を楽しむのがよいでしょう。とはいえ、人間ですから、あまりに活躍できないと、それはそれで危険なので、適切なタイミングで適切に救ってあげることも大切ですね。この塩梅が難しいのですが笑