manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

答えのない問題への向かい方 その2

みなさん、こんにちは。

 

先日、ご紹介した部長昇格のための面接試験の続きです。私が受講した際にはありませんでしたが、面談後にさっそくフィードバックの連絡が来ました。私の時は、しばらく経ってからでしたので、何をどう話したかはほとんど覚えていない中でのコメントでしたので、なんとも不思議な気持ちでフィードバックの資料に目を通した思い出があります。

 

フィードバックの中身にはここでは触れられませんが、気になったのは、その候補者の応対でした。フィードバックに納得いっていないのでしょう。どうにも理屈っぽく、宗教が違いますね、的な返答です。まぁ、それはそれで正しいのですが、それはあなたの理屈です。面談したアセッサーが感じ取ったことは、それはそれで彼の真実です。その彼にそう感じさせた時点で、それは評価としては甘んじて受けるべきでしょう。

 

あくまでアセッサーは第三者として、その彼との受け答えの中で、彼のマネジメントの特徴を見抜く立場として接していたのだと思います。それが仕事ですから、それ以外の感情はないはず。そんな関わり方の中でのフィードバックですので、それはプロとして一定の責任を持ったフィードバックのはずですね。

 

それはきちんと受け止めた上で、私が言いたかったことは、こういうことだったのですよね〜、と返せば前向きに受け止めた上でのコメントになります。それは、負け惜しみでも批判でもありません。フィードバックする側も、また言おうという気持ちになれます。ですが、宗教が違うとなれば、そもそも聴きいれる姿勢も何も見えません。むしろその姿勢はどうなのか、と不安になります。ただ、彼はそこには気が付きません。

 

さて、何故このようなことを書いているのかというと、この手のフィードバックの受け止め方も、マネジメントとしての資質のあるなしを示していると思うからです。マネジメントも部長以上にもなると、自分の経験や知識からだけでは、なんとも判断のつかない話が満載です。アセスメントのお題そのものが、そうした際に「あなたはどうしますか?」という問いかけです。

 

実際に部長となり、もちろんうまく行くこともあれば、そうでないこともあるでしょう。完璧な人など存在しえないので、それは摂理です。ですので、折に触れ、振り返り、そのために意見を募ることが大切です。それなのに「宗教が違う」では、その方にフィードバックしようとはなりません。ここが本当に残念なことなのですが、どうしてもそのことが伝わらない・理解してもらえない難しさを感じたひと時でした。その彼は本当に知識があり優秀で推薦をしているので、この壁を乗り越えるための支援をしたいと思います。