みなさん、こんにちは。
昨日、部長のひとりと会話した際にこんな話になりました。他の部長を指して、「生徒会の運営」のようだと。意図するところとしては、「こうあるべきだ」と指摘をし、できてないのは他者が悪いと放り投げてしまう情景を指しています。そして、「束ねられていない」と。たしかに、その方にはそういうところがあります。
これは他部門に対してだけではなく、おそらく自分たちの部下に対しても同じようになっているのでしょう。アレやれ、コレやれ。わかりました!の部下が重用されています。さらに悩ましいのは、上司に対しても同じで、アレをやってくれない、これをやってくれないと求めてしまい、自分たちはやる事やっているのだから、上司が悪い、となります。守備範囲の認識も違うため、すれ違いが広がっていってしまいます。他責傾向が強めです。
冒頭の部長の話に戻り、確かに彼のいう通りで、いわゆる組織長っぽくありません。それでも、組織長としての仕事をしてもらわないといけません。さて、どうしたものでしょうか。
表現しにくいのですが、組織を運営するという行為には、感触や感覚のようなものがあると思っています。属しているメンバーは預かりモノです。バックグラウンドが異なり、不揃いで、すべてのピースがピタリとハマっているような状態ではありません。そんな集団をだましだましではあるものの、一定以上の活性状態にしておく。そんな感じでしょうか。全体への目配せも必要だと思います。
うまくいっている状態であることの方が珍しい。ただ、優等生上がりの部門長はうまく運営できていると認識しがちです。自分の意を汲んでくれる部下としっかり運営しているつもりになっているからです。指示出しのパターンも限定的になります。アレやれっていったじゃん。なんでやってないの。オレいったよね。なんでできないの。ざわざわしますね。
さて、そんな方に「あなたのマネジメント能力は不十分であるから、改善をしたまえ」なんて伝えようものなら、大いに盛り上がるでしょう。コイツは自分たちのコトをよくわかっていない。信用できない。何言っているかわからない。
確かに気持ちはよくわかります。客観的に自分のマネジメントを見つめられら人はなかなかいないでしょう。チャンとできてるよ!と当然ながら言いたいし、結果(数字)出してるじゃぁないかとも言いたい。ただ、練度のようなものがあって、繰り返すほどに、工夫するほどに、味わいが深まってきます。引き出しも増えてきます。自転車のように、単純に乗れる/乗れないではありません。
まずは組織マネジメントってそういうものなんだよ、ということを知ってもらうところからですかねぇ。なかなか悩みが深いです。