manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

とめて、蹴る①

みなさん、こんにちわ。

 

中学生の頃、バスケ部で最初に教わったのはドリブルでした。腰を落として、ひたすらボールをダムダム。小学校の時は地区の野球クラブに入っていましたが、そこで最初に習ったのはキャッチボールでした。グローブの使い方とボールの投げ方・取り方を覚えます。多分、何千回とやりましたね。ゴルフはコナミにしばらく通って、アイアンでスイングの基礎を教わりました。まだまだ、下手です笑

 

サッカーを本格的に始めたのは大学のサークルです。小学校や中学校でも、お昼休みにお友達とサッカーをしていました。ドリブルやパス、トラップを習ったわけではありませんでしたが、各々の技術がそんなに特別な技能ではないので、それなりにできました。もちろん、パス練習なんかは何万回とやったでしょう。

 

以前とりあげたように、 社会人になって教わったサッカーの基本は今でもとても役に立っていますが、どうしてこれを最初に習わなかったのかが悔やまれます。ボールをとめて、蹴る。とめる時に、ワンステップで蹴れる位置にボールを置く。ゴールに向かっていい位置に走りこんでいる選手がいれば、目を合わせ、双方の意図を合わせて、そこをめがけて蹴る。これを最初の選択肢にし、とめて、蹴るべきであることを、5年以上サッカーをやっていて、初めて知りました。

 

前置きが少し長くなりました。コミュニケーションについて、考えたいと思います。皆さんはコミュニケーションについて、学んだことはありますでしょうか。人として、生きているわけですから、当然、人とコミュニケーションをする機会はあるでしょう。

 

いつ、どなたに教わったのかの記憶はありませんが、「コミュニケーションの『主体』は聞き手」であることを教わりました。これは天動説と地動説くらいコミュニケーションについての概念がひっくり変える指摘でしたが、なぜかすんなりと受け入れることができました。話している側がいかに熱意をもって、長く話そうが、聞く側に受け入れる準備がなければ、馬の耳に念仏だということです。

 

シンガポール時代の出来事です。ローカル社員と業績評価の面談です。あれも言おう、これも伝えたいと、都合3時間くらい話した記憶があります。後日、360度フィードバックを彼女から受けた中に、「面談時間が長かったが、何を言いたいのかよくわからない」とありました。とほほ。

 

ですが、振り返ってみると、確かにその通りなんです。コミュニケーションは聞き手が主体。聞き手は多くのことは受け止められません。こちらの思いや考えを一方的に伝えるのではなく、聞き手が何を考えているのかを測りながら、相手側が「確かにそうだよね」という風に導いていく必要があります。

 

伝えるにしても、できればひとつ。聞き手の思考のプロセスに沿い、私の言葉を受け入れられる準備ができていないと時間の無駄だということです。そして、しつこくなければ定着しません。社会人になり、どれほど無駄な時間を過ごしたことか…。できれば、会社に入って、一番最初に知りたかったことのひとつです。ただ、このことを、入社当時に言われても、おそらくしっくりこなったのだと思います。その理由は次回に…。