manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

指示をする側の期待

みなさん、こんにちは。

 

本日はサッカーの話からです。有難いことでして、私はプレイ中にGKやセンターバックからポジショニングについて指示をもらえることが多く、助かっています。自分ではよかれと思っているポジショニングを決めているわけですが、自分よりも後ろのメンバーから見た際に、それが適切でなければ修正すべきですし、特に守備は陣形が命です。大変ありがたいコーチングです。

 

先日の試合でのことですが、後半に私とセンターバックのひとりが交代したタイミングで途端に、後ろからのポジショニングの声が無くなりました。不思議に思い、試合後にGKに聞いてみたところ、指示をしてもその通りに動いてくれない、むしろ怒られることもあるので言わないということでした。うーん、それはあまりにもったいない。ただ、一方で、聞いてくれないのに指示を出し続けることが難しいこともよくわかります。

 

さて、仕事の方に話を移しますと、こちらはよかれと思って色々とアドバイスをするのですが、全く聞いていないメンバーがいます。そうすると、確かにアドバイスをする気がなくなってきます。こちらが意を決して話していることを受け入れてくれない人に対して、時間をかけて、労力を使って話をしても効果が薄い。となると、いわゆる生産性の低い行為となります。これを、辛抱強くするのはなかなか骨が折れる行為です。

 

今度は逆の立場からこれを観てみましょう。自分に対して、色々とアドバイスをしてくれる親切な人がいるとしましょう。それはきっと、アドバイスしている対象者が自分たちの話を聞いてくれる人だから言ってくれると言うことなのでしょう。なるほど、確かに色々と親切にアドバイスをしてくれるみなさんはきっと聞いてくれるから「言おう」という気持ちになってくれるわけであります。

 

振り返ってみますと、私に対して、色々と耳の痛いアドバイスをしてくれる方々が少なからずいたように思います。そのみなさんは私に対して何らかの期待をしてくれていたのかもしれません。だとすると、その際に鬱陶しいなぁ、と思っていた気持ちはやっぱり反省すべきですし、その際に反発して聞き入れなかったことは未熟だったということでしょう。

 

話は冒頭のサッカーの話に戻りますが、サッカーは組織のスポーツですので、対話が無いのはあまりにも効率が悪いはずです。ですが、対話について教えてもらったことは一度もありません。これは非常にもったいないですね。組織や集団を率いていく立場のみなさんが如何に上手にコミュニケーションしていくか、その術を学んでいくかは大切なことではないかと改めて思い至りました。