manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

他者の声と心の声

みなさん、こんにちは。

 

先日、サッカーをしていた際の出来事です。サイドバックゴールキーパーからのコーチングに対して、「いや、そうじゃない」と反論しています。何をどう思って彼がそう思っているかはさておき、客観的には後ろから戦況を見つめているゴールキーパーはそれなりに信じるに足るアドバイスをしてくれていると思います。ですが、その彼は自分はこうすべきだと主張をしているわけであります。

 

仕事に目を移してみてると、同じような情景があるようにも思います。例えば、上司は自分のポジションを経験しているわけですから、より後ろから自分を見てくれているわけであります。ですが、上司からのありがたいお言葉には心がときめきません。感情的にも少し受け入れ難い。

 

少し昔のことですが、とある方から、「まなおうさんはとてもよいのですが、もう少しライバルに塩を送るようなことをすべきだと思うんです」と言われたことがあります。当時は「何を言いたいんだろう、この人?」と思っていたわけですが、今になってはその気持ちがよくわかります。より上の立場から見るとその優秀さは周囲にお裾分けされれば、組織全体のレベルが上がります。ですが、優秀な人がひとりでガンガン頑張っていたところで、組織の成果としては限定的ですね。ですが、当人からしてみれば、それは自分の評価にならない話ですので、ピンと来ないわけです。

 

これらの話のポイントは「見えている世界が違う」ということです。そんな中で、みえてない側が見えている側のアドバイスコーチングに従うにはよほどの信頼がないと不安で仕方がありません。さらに言うと、状況が危機的であればあるほど、その声に耳を傾けるかどうかは、悩ましくなってくると思います。一杯一杯な状況であれば、ますます自分の心の声に耳を傾けたくなるでしょう。

 

上司や同僚や部下がなんと言おうと、この件の責任を負うのは自分である。自分が受け持った責任が果たせない、そんな時ほど不安が増幅していきます。そして、どんどん視野が狭くなる。そんな時ほど、自分の外の声に耳を傾けるべきなのですが、そもそも声が耳にも入らないほど目の前のことに集中してしまう。奇跡的に声が耳に入っても、目の前のことを今の状況のまま頑張ってしまう、そんな光景です。

 

逆にいうと、声を聞けば必ず上手くいくわけではありません。また、声に従うことは感情的にも受け止めにくいかもしれません。目的は何なのか、そこに向かうにはどうあるべきなのかを突き詰めた上で、どうすべきかを決めるのはもちろん自分です。ただ、折角かけてくれた声に対して、「それは違う!」と突っぱねてしまうのはもったいないですね。

 

冒頭のサイドバックの彼に関して言えば、どちらかというと非難を逃れる為に、自分はそうではないと思っていたと反論していたように私には映りました。いやいや、あなたのことを非難しているわけではないんですよ、チームがより上手に守るにはどうすべきだったのか、どうすべきなのかに心を向ければ、周囲のコーチングを受け入れられるようになるかもしれません。