みなさん、こんにちは。
以前の記事で階層別研修の大切さについて触れました。優秀層を選抜し、自己啓発を期待して幾つかのトレーニングプログラムに送り込んでいますが、そこで気になったことについて少し触れたいと思います。
参加している何人か内容についてヒアリングする場を設けました。きっと口裏を合わせているわけではないのですが、同じフレーズが出てきます。共通していることが、内容を「知っている」「できている」という反応です。
なるほど。確かにリーダーシップやマネジメントについては、みなさん本を読んだり、部下に大して実践しているわけですから、全く真新しい話は少ないでしょう。新たな理論があったり、新たな手法を取り込めば劇的にマネジメント力が高くなる、なんて話はありませんね。
本論に戻しまして、「知っている」「できている」とはどういうことなのか。自分の取り組んでいる事柄に照らし合わせて整理してみると、符号することが多いということでしょう。研修で教わるようなことですから、一般論で抽象的ですので、そういう部分が見つかるのはもちろん悪いことではありません。ですが、研修に参加している目的はむしろ逆にあります。
自分のできていることを捉えて「よしよし」とほっとすることを求めているわけではなく、逆に、一般的で抽象的な事柄から自分が「できていないこと」や「改善できること」を捉え、そこを埋めるために行動や発言を変容させていくような気づきを得ることが大切なのだと思います。自信があって「私はできている」と思うことはもちろん大切なことですが、マネジメントには「完璧」という状態はありません。ですので、より充実した状態に持ち込むにはどのような視点を持つべきかを研修等での刺激によって獲得し、振り返りを入れて、軌道修正していくこと。これが大切なのだと思います。
というようなことをつらつらと書いてしまっている私も若い頃は研修に参加して、「あー、こんなの全部知ってるわ」と思っていた記憶も無くはないです(あります)。ですので、それが若かりし自分にもあったことですので、若い彼らにあることに不満があるわけでもありません。ですが、研修をそのように捉えてしまうことは非常に勿体無く、投資しているのに、十分な学びが得られない。
研修の中で知り得ることは非常に大きな気づきを得るチャンスでもある一方で、自然体で何も考えずに過ごしてしまうと、大したことはないと何も得られずに終わってしまう。感じたことを、自分の体験に照らし合わせて、そこから新たなことを体得し、自分の成長につなげる。このためには一旦できていない自分を見つめなければいけません。これが実は素では難しいということなのかもしれません。
ということで、もし私が次に研修を受講する機会があるとすれば、このことは肝に命じて、虚心坦懐の心で参加したいと思います。