manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

感謝と「あたりまえ」

みなさん、こんにちは。

 

先日、とある人事異動の件で、こちら側としては最大限の支援を用意し、本人にその伝達をしました。私としては、最大限にできることはしたつもりでしたので「満足しない」反応があるかもしれないとは思っていましたが、まぁ、納得してくれるだろう楽観視していたわけです。面談の場で、納得していない・議論が噛み合わないことを感じつつも、まぁ、受けてくれたんだろうなぁと受け止めていました。

 

ところが、しばらくした後で、全く満足していないことがわかりまして、個人的にはすごく残念な気持ちになりました。折角ですので、この「残念な気持ち」にハイライトしてみたいと思います。

 

深く掘り下げていくと色々あるのだと思いますが、まず最初に、私は「感謝してくれる」と思っていたところがあると思います。上記の通り、反応は感謝ではありません。もちろん、感謝して欲しい、なんて言うつもりはありませんし、感謝はねだってもらうものでもないでしょう。ということで、私が感謝して欲しかったという部分は「感謝してもらえなかった。残念だなぁ。」で終わりです。

 

一方で、その方を観察してみると、こちらの支援に対して「支援してもらって当然」というスタンスです。少し遡ると、今の処遇についても同じように思っているのかもしれません。ついでにいうと、今の会社での地位や処遇も同様に感じているのかもしれません。みなさんのおかげで、支えてくれる部下のおかげで、自分の処遇が実現しているというような感謝の気持ちがおそらくないのでしょう。確かに優秀なのかもしれませんが、会社を率いる幹部の立場として、適切なのかというと、私はそうではないと思います。

 

確かに会社役員は会社という組織においてはポジションは上で権力を持っている立場です。ですが、それは会社が正常に運営でき、利益を出し、その結果、自分たちの給与や賞与が支払われるわけでして、そこが磐石であって初めての今のポジションです。底流には感謝があるべきで、幹部として組織に返すものがあって初めて我々は報酬をもらえていると認識すべきだと思っています。

 

さて、話を戻すとここの考え方が根っこからあっていないわけで、そんな状況で「こちらは最大限に支援している」なんてことは彼からするとどうでもよく、自分の今の水準と比べてどうなのか、そこだけが比較の水準だったということなんだと理解しました。イチゼロの議論ではありませんが、こんなんだったら、支援なんてするんじゃなかったなぁという気持ちにもなりましたが、こうして考えると論理的には成立しますね。感情的にはがっかりですが、まぁ、そんなこともありますね。