manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

みんなの意見と自分の意見を

みなさん、こんにちは。

 

「みんなが言っている」「みんながこう思っている」という主張を久々に耳にしました。私だけ言っているのではない、という意味が込められているのでしょう。一時期は、みなさんと意見が対立していたので、よく聞いていたように記憶しています。他者を貶めるようなことをある程度の役職の方でも普通に発言するわけですが、その際に、「みんな言っている」と添えていたように記憶しています。

 

「みんな」が言っていることは、悪魔の証明と同じで、証明のしようがないように思えます。ですが、冷静になって考えてみると「そう思っていない」人を見つければ、簡単に否定できるわけでして、実は結構簡単に看破できるものだったりします。自分だけの意見ではない、ということなんでしょうが、私は多くの場合、これはその主張をしている人の意見だと受け止めることにしています。

 

ノスタルジックに、小学校の頃の学級会を思い返してみてください。誰々くんが誰々さんに悪さをしていた。みんな見ていたと。先生に言いつけるようなシーンが一度はあったのではないかと思います。この「みんな」はとても強力ですし、この「みんな」には抗い難い。みんなを敵に回して平気でいられるほど、タフな小学生はいないでしょう。

 

いい大人なわけですので、「みんなが言ってる」じゃないよね、と思うわけですが、そうではない主張の仕方をもしかしたら、教わったことがないのではないかと思えてきました。ある時、ある幹部社員の1人が自分が取りまとめてきますと、案を作ってきました。A案とB案、みんながA案だというので、A案がいいと思います。こんな感じです。

 

いや〜、論理的でも客観的でもないし、冗談?と思うほどですが、当人たちはいたって真面目に真剣です。いやいや、こういうところが論理的ではないよね、だったり、コストの面でどうなんだろうね、と言おうが、「みんながこっちの方がよい」という一点張り。しかもその「みんな」も一部の人たちだったりします。「こんなことで判断するなんて、ありえない」と思った記憶がありますが、実はこれは私の常識だったわけで、過去からみなさんはこうして物事を決めてきた訳なんでしょう。うーん、恐ろしいなぁ。

 

筋が通ってない、論理的に整理せよ、と若い頃か厳しい指導を受けてきた身からすると、もう驚きしかありません。ですが、よくよく考えてみると、論理的であり、筋が通っていれば、必ず成功するというわけでもありませんので、そこに頼りすぎるのもよくないでしょう。ですが、自分の意見を展開する時に論理を軸に説明すれば、わかりやすい、みんなが理解してくれると思った私も一方では私の世界の常識に過ぎなかったということです。あー、気持ち悪い。ですが、こういうところに対しても、絶対的にどちらが正義と断じることがないように改めてしたいと思いつつも、みなさんには頼むから「みんなが」というのはやめて欲しいなぁとお願いしたいと思いました。