manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

多分なんとかなる

みなさん、こんにちは。

 

親会社の人事部長との会話です。とある人物について話している際の言葉です。「よいか悪いかはさておき、私やあなたは大きなところで『なんとかなる』と思ってるんだよ」と、言われました。言われてみれば、確かにそういう感じでいます。悪くいえば適当、よく言えばおおらかというところでしょうか。まぁ、なんとかなるかなと。

 

ただ、昔はこうではありませんでした。緻密に(自分で思っていただけですが笑)ロジックを組み上げ、リスクを事前に潰すことをよしとしていたように思います。今にして思えば、時間があり、余力があったのかもしれません。また、仕事の範囲も狭く、自分でコントロールできる程度だったのでしょう。ついでに言うと、これができないヤツはダメなヤツだと思っていました。本当にダメなヤツでしたね笑。

 

さて、そういう状態から、いくつかの経験を通じて、「適当に」「おおらかに」変わって行ったわけですが、実は根っこのところは変わっていません。コトを成したい気持ちは同じです。

 

話は少し巻き戻りまして、何故、当時、緻密になっていたのかを振り返りたいと思います。これは、失敗したくない、うまくいかなくても自分の責任ではないというコトを示すための行動だったのではないかと感じています。論理的に分析的に臨めば、理屈の上では正しい答えを用意できます。さぁ、あとはやってみるだけです。

 

ただ、多くの場合は、実行上、その通りに行きません。その際に、「こんなに正しく準備したのだから、仕方がない」と主張できるわけです。ひとりの担当者であれば、それでディフェンスして満足なんでしょう。周りがその様子をどう見るかはさておき。。。

 

ただ、大きな視点からみれば、自分で物事をコントロールしに行こうとしていないようにも映ります。コントロールできないことが不安なのかもしれません。私の場合は責任を自分のものではないとしていたように思います。

 

さて、話を戻しまして、実行局面では、いろいろ起こります。その際に、舞台裏で「現場が悪いね」と批判の声をあげるのか、舞台に飛び出して「コトを成す」ために自ら動く・働きかけるのかは大きく立ち方が違いますね。

 

舞台に飛び出すには勇気がいります。飛び出して、さらに状況が悪くなったら、どうしよう。うまくいかなかったら、お前のせいだと言われます。ドキドキしますね笑

 

ただ、どうせ舞台裏でヤジを飛ばしても上手くいくわけがありません。案を作ったのも自分です。飛び出してみたら、なんとかなるだろう、と、気軽に飛び出せる心構えでいれば、そもそもそんなに入念に準備をする事に意味を感じなくなりませんでしょうか。だって、飛び出す時には、想定してなかったことが起こっているのですから笑