manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

俺の方がすごい

みなさん、こんにちは。

 

今思い返してみれば、若気の至り以外の何物でもありませんが、若い頃に一生懸命に仕事をしていて、俺の方がすごいのに、なんで給料が先輩たちに比べて低いんだ、と思っていました。そんな時に、当時の部長が呟いていたことで記憶に残っていることがあります。子供たちが育って高校や大学に入るときにお金が必要になるから、その際に合わせて給与が高く上がっていくだとかなんだとか。あと、昔、人事部長と会話していた時にも、「課長くらいにならないと子供を養っていけないんだよね」というようなことを呟いていたことも思い出しました。

 

客観的に俺の方がすごいかどうかはさておき、この呟きは、会社にある一定以上の期間在籍していて、ある一定以上のポジションに上がらないと給与がそれなりに増えていかないということを意味しています。年功序列で終身雇用を謳う場合にはよくみられる光景かもしれません。さて、そのような会社から一歩外に出た際に、これは成り立つのでしょうか。

 

わかりやすくするために、ホストクラブを例にしましょう。太いお客さんを掴んでいる若いイケメンがガンガン稼いでいるのに、長らく在籍している40代のおじさんの方が給与が高い、なんてことになれば、その稼ぎ頭の彼はとっとと別のホストクラブに移っていくでしょう。コンサルティング会社なんかも構図としては同じかもしれません。要するに、稼げる人が多く貰う構図で、わかりやすいですね。

 

話が脇に逸れましたので、本題に戻して、年功序列で終身雇用とはいえ、課長になれる人・部長になれる人には限りがあります。何らかの選抜が行われ、その選抜をくぐり抜けた方々が晴れて高い処遇を掴むことができます。冒頭の話に戻りまして、「俺の方がすごい」のであれば、本当に高い処遇を掴むことができるのでしょうか。推薦する上司の方が、自分がすごいと思っている「すごさ」を評価してくれるのであれば、相互に評価が一致しますので、とても幸せな状態になりますね。ですが、多くの場合はそうではありません。むしろ、一致しているなんて、奇跡でも起こらない限りは難しいでしょう。

 

当然、「すごいかどうか」だけではなく、リーダーシップや責任感だったり、色々な資質が評価には用いられるのだとは思います。ですが、枝葉を削ぎ落として言えば、上司の好みに合う人物が推薦されてきます。この行為そのものは、まぁ、人間であれば、多かれ少なかれ仕方がないのかもしれません。ですが、これが何年も何十年も続くと、好まれる資質が一子相伝されていき、何となく、「あぁ、こういう人が評価されるのね」という人物像が固定されていってしまいます。似た人が似た人を選んでしまえばそうなってしまいます。人事がコンピテンシーや行動指針のようなものを作り、布教・教育しようが、所詮は人間ですから好みが出てしまうでしょう。

 

そうしていくと、果ては、俺の方がすごかろうが、すごくなかろうが、評価される人材像に適合していなければ、昇格していかない状態となってしまいます。そうすると、上のクラスになると、考え方や行動様式が何だか似通った人たちの集まりになっていく恐れがあります。一度このような状態となってしまうと、もはやそれを崩すことは難しく、多様性を受け入れるなんて、表面上は謳っても、実情はとんでもない!という状況になります。

 

そうならない、そうしないためにも、自分と異なる意見を尊重し、ちょっと違うと思う人でも推薦を受け入れたりする必要があるのでしょう。また、「俺の方がすごい」という方の「すごさ」も伺う必要もあるのでしょう。ですが、こちらもこれまた人間ですから、なんかしっくりこないというか、自分の基準にあわず、釈然としない場合も多いように思います。この判断は本当に将来のこの会社のためになるのか。価値観が異なる人を昇格させて馴染むのか。評価・推薦する側からも悩みは尽きませんね。