manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

知らないことを知らない

みなさん、こんにちは。

 

少し哲学的なタイトルですが「知らないこと」を知らないについて、整理しておきたいと思いました。私はこれまで大きな会社で長らく育ってきましたので、組織運営の在り方だったり、指示命令の通り方、仕事の進め方などなどがその会社特有であったことを理解していませんでした。

 

若い頃にシンガポールに赴任していた時期がありまして、予算編成の考え方も適当だったし、社長が何かやりたい、って指示を出しても、誰も何もしない感じだったように記憶しています。ということで、今にして振り返ってみると、中小企業特有の事情もあったように思います。当時は、日本の会社とシンガポールの会社の違いと整理したように記憶していますが、違いは必ずしもそこに起因することだけではなかったのでしょう。

 

常識を疑うことはとても難しいことで、着任当初、私もこの会社は少しおかしいと思っていました。ですが、シンガポールも今の中小企業もおかしいのは彼らではなく、大きな会社で長らく育った故、その常識に染っている私だったということです。とはいえ、常識を疑うことが難しいのに、どうしてそれに気づくことができたのかが大切なのだと思います。それはどうしてなのか、という所に話を進めたいと思います。

 

私自身の特性として、仕事の成果を判断することに対して、とても慎重なところがあります。誰かがよいですね、と言ってくれたとしても、あまりその言葉を鵜呑みにはしません。一方で、目的にはとても拘っています。当初、果たそうとしたことができているのか、進んでいるのかはとても気にしています。さて、そうすると、成果の観点でいずれの活動もいま一つでした。各々の活動を振り返ってみると、実に進捗していないことがわかります。うーん、これは微妙な状況だなぁ、とそこで気づきます。

 

そうして、細かなところを観察していると、ひとつ一つの指示の受け止められ方や、みなさんの行動における優先順位などが私の思惑とは大きく違っていることが伝わってきます。あれ、何故、こういうことが起こるのか。そうしたところから、影響力がなかったことだったり、そもそも制度や枠組みよりも人を重んじていたのか、などなど、見えてきたことが多くありました。一つひとつを振り返り、自分の発言のあり方やどこまでを行動で示すべきなのか、などを見直していくきっかけになったわけです。

 

というところで、最初の話に戻りまして、「知らないこと」は何だったのか。それは、今まで長らく過ごしてきていた会社の常識がその会社でしか通用しない常識だった、ということを知らなかったわけです。もちろん、今振り返れば、当時は「知らないことを知らなかった」ことがわかったということでしょう笑。少し言い過ぎに聞こえるかもしれませんが、「知らないこと」を「知っている」のか「知らないのか」によって大きく発言や行動が変わってくるわけでして、今にして思うと「誰か先に教えてよ」と思ったりもします。ですが、未熟者の私は着任してしばらく過ごす前にこのことを聞いたところで、「いやいや、わかってますよ」と構えていたことでしょう。「知らないこと」を知るにも、適したタイミングがあるということなのでしょう。