manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

話せば分かるは本当か

みなさん、こんにちは。

 

私が在籍していた大企業では、部下が上司に対して正面から楯突くことはあまりなく、「こうだよね」と言われれば、たとえ納得しておらずとも、「まぁ、こうなんですね」ということで、議論の結論や指示を受け止めます。強さ・弱さの程度はあれど、組織の指示命令系統の原則に基づいて活動が展開されていきます。繰り返しますが、心の底では納得しておらずとも。

 

さて、一方、ベンチャー企業や中小企業ではどうでしょうか。まぁ、面と向かって社長に死ねと言う社員はいないと思いますが、大企業との比較で言えば、納得していない、わからない、は当たり前です。反対意見や無視はありますね。そして、こちらが言葉を尽くして説明しても「わからない」となります。さて、この「わからない」の根っこにあることは何なのでしょうか。

 

ひとつは知識の差があると思います。人事制度の基本的な考え方や会計に対する基本知識がなかったりします。そうすると、そもそも言っていることが解釈されません。賛成・反対以前の話ですね。次に「見えている世界の違い」もあります。社長・役員が見えている世界と部長・課長が見ている世界は異なります。さらに、これまでの経験もありますね。成功したと思っている仕事についての経験が「こうすれば、うまくいくはず」という主張を作ります。パワハラで成功したと思っている人は、これからもパワハラ的に振る舞っていくでしょう。そのやり方で失敗しない限りは。

 

突き詰めていくと、双子のように同じように産まれ、同じように育ち、同じような成功体験をし、同じ環境で同じ役職であれば、話せば分かるコミュニケーションが完璧になされるのでしょうが、そんなのあり得ませんね。という前提に立つと、この「違い」を埋めるコミュニケーションがどれだけできるか、が大切なのだと思います。

 

表現が適切でないかもしれませんが、「学の無い」方に高尚なことを説いても通じないわけです。ですが、会社経営の中では、そのような方も成果を出して、より高いポジションに挑戦していくとすると、高尚なことを理解してもらわないといけないタイミングが来るかもしれません。そんな時に、「あいつは馬鹿だから、だめなんだ」では、あまりに切ない。冷たいですね。

 

ということで、この「違い」が存在することをまずは認識することが大切なのですが、自分の中の正義が強すぎる方はそれがなかなか難しい。キリスト教の人にイスラム教に改宗してもらうくらいに難しい。歴史上も、宗教戦争は何度も起こっています。話してもわからない、そんな世界は確かに存在します。

 

ですが、同じ会社で、同じ目標を目指して働いているわけですから、一定のレベルで「わかり合う」ことが求められると思います。ですので、最初からわかってもらえなくとも、自分はどういう生まれと育ちをし、どのような環境で何を大切にしながら働いてきて、今後はこういうことを大切にしたいんだ、ということを、しつこく伝えていくことが大切です。その逆側では、今は分かり合えていない相手についても、生まれと育ち、そして、これまでどんな成功体験をして、今後どんな成功をしていきたいのかを聞くことも大切ですね。当然、GAPを埋める学習機会や説明を尽くすことは必要となりますが、この基礎的情報の交換がなされていないのではないかと思いました。お互いの産まれや育ちが共有されて、人の顔が見えていれば、もしかすると宗教戦争も回避されたのかもしれません。