manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

わかってくれるの罠

みなさん、こんにちは。

 

昔の話ですが、当時、付き合っていた彼女から誕生日プレゼントをもらうという際に、特に欲しいものがなかったので、「私がもらった嬉しいと思うものを見繕って贈ってほしい」とお願いをしたことがあります。結果、本当に素敵なプレゼントが貰えて感動した、なんてことは起こらなくて、「あぁ〜、これかぁ」というような少し残念なプレゼントでした。学習能力が低かったもので、二度ほど同じことをした記憶があります。若気の至りですね。よくよく考えてみると、自分の趣味や好みに合う物をもらえるなんて余程の奇跡か、事前に自分はこういうものが好きだというヒントをふんだんに示しておかないと当たるわけがありません。

 

さて、仕事の方に話を移しまして、大企業では役員の意向を推量し、言葉の断片からこうではないだろうかということを考えて資料を作成したり、指示を実行していきます。付き合いが長ければよく意向がわかりますし、来たばっかりの人は何のことを言っているのかよくわからんが、そういうことなんだろうなぁ、ということをいくつかの経験を通じて学んでいきます。よほどコミュニケーションが上手でなければ、ツーと指示をして、カーと動くようなコンビネーションは発生しません。ですが、こいう「あうん」の呼吸が大切にされているように感じます。

 

これが高じると、ちょっと指示をして、その通りに資料ができてこなかったり、その通りに動かなかったりすると、「あいつが悪い」となってしまいます。この情景をよくみると、冒頭の付き合っていた彼女からのプレゼントと同じような構図です。そんなの当たるはずがないというか、当たったら奇跡です。

 

ですが、指示を出した側からすると、他の人は少ない言葉でも資料を作り、指示通りに動いてくれる。一方で、そうでない人がいる。そうでない人の方が悪い、という理屈です。人は偉くなってしまうとそうなってしまいがちなのかもしれませんが、いやいやいや、それはおかしい。少し立ち止まって考えないといけません。さらにこれが進むと口に出してもいないのに、「察してほしい」となります。確かに、恐ろしい事に、大企業ではさほど珍しい光景でもないのですが、普通の中小企業ではそれはとても叶わないでしょう。

 

ですが、大きな会社で中途半端に偉かったりすると、周囲が「わかってくれる」状態となるため、その環境から異なる環境に移った際に当惑してしまいます。いやいや、前の職場ではわかってくれたよね。今の職場が悪い。と思いがちなのですが、いやいやいや、前の職場が特殊で今が普通なんですよ。ということに早く気付き、今の環境に適切なコミュニケーションの在り方を探索していくことが大切になります。

 

「わかってくれる」状態は車で言うと自動運転のようなもので、ドライバーの技量が優れていようが、そうでなかろうが、一定のレベルの運転をしてくれます。一方で、真に優秀なドライバーは車がどんな車種でもポンコツでもそれなりに運転できるわけであります。少し前に「忖度」という言葉が流行りましたが、これは自動運転の極みですね。指示してなくても、動いてくれているわけですから、政治家からすれば、自分が指示したことではないと言う主張も通るのでしょう。究極奥義ですね笑