manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

自然体

みなさん、こんにちわ。

 

社会人としての期間が一定以上ある方は身に付いた仕事のスタイルようなモノがあるように思います。情報収集は一次情報に接することを大切にして、事実と意見を分けて整理する。解決策は論理を大切にするのか、渦巻く感情に対処するために現場の納得感を優先するのか。影響力の最も大きな方の意見を聞いて資料を作成するのか。仮説を用意するのか、しないのか。意見を集めるのか、集めないのか。みなさんのこれまでの成功体験だったり、うまくいったという感覚(錯覚)などから形成されているのだと思います。

 

本日、コーチとのセッションの中で、ある指摘を受けました。「大企業で得意としていたスタイルをそのまま持ち込んでいませんか」と。おー、そうだったのかと新たな気付きがありました。正直申しまして、全く意識していませんでした。課題を分析し、整理し、解決に至る。ほっとくと、納期が意識されず、蒸発していくことが嫌なので、納期を決めてミリミリと活動の進捗管理をします。これでも、ずいぶんとお手柔らかに処してるつもりですが笑。お恥ずかしい話で、私はそれは呼吸するかの如くで、全く自然であり、そのことに問題意識すら持ちませんでした。さすがコーチ!

 

少し話は変わりまして、今の会社で「笑ってごまかす」とか「言い方が軽い」という批判があると告げられました。この手の話はあまり気にしない性質なのでして、その理由はまたの機会にご紹介できればと思います。確かに、そう取られてもおかしくないかなと思う節はありました。ただ、直属の部下のみなさんはよく知っています。顔が笑っていても/言い方が軽くても、いうことは言うし、しつこいし、面倒くさい。スタイルも課題解決のための初手を大切にします。初手のアクションが決まらなければ会議は終わりません。

 

さて、この2つの事柄は今の私にとって自然な振る舞いです。こうして第三者から指摘を受けて、初めて知ることのできることが大いにあると思います。自然体であるつもりが、型に嵌っていたというわけです。割とおかしな話ですね。形に拘らないようにしようと思っていたところが、実は型に嵌っていると。村上春樹さんの小説の「本当に普通であること」が、実は異常だという描写に似ているようにも思います。失敗したくない/批判されたくないと、少し守りに入っていたのかもしれません。もう少し飛び込んでみようと思った一日でした。よい日ですねぇ。