manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

よいように

みなさん、こんにちは。

 

謹賀新年。あけましておめでとうございます。

 

2021年がみなさんにとっても私にとってもよい年になるとよいですね。コロナのこともありますので、みなさん、このお正月はのんびりとお過ごしでしょうか。ブログの方は、昨年と同じように、今年も感じたことを読みたいように書き残していけるとよいなぁと思っています。

 

さて、今回は出向元の親会社で私のポジションを引き継いでくれた方との会話の中で出てきた言葉について考えてみたいと思いました。約1年半ぶりくらいにお話をした感じでしょうか。

 

その彼は我々の世代としては本当に大したもので、自らでキャリアを築いてきた方です。某大手通信キャリアから某大手戦略コンサルティング会社、さらに某外資系企業を経ての中途入社です。私が本社で関わっていたプロジェクトが次のステージに移るタイミングでのバトンタッチでした。私は会社の指示によってなされるがままに、異動を繰り返し、その場その場で新たなことを自分なりに習得して乗り越えてきたわけですが、残念ながら、そこに専門性は培われておらず、問題解決のプロとの比較で言えば、劣後していたのだろうなぁと思います。ただ、このブログでも触れてきましたが、異なるよさや強さはあるのだと思っています。おそらく笑

 

風の便りで、頑張っているということを伺っていましたので、お久しぶりの会話を楽しみにしていました。会話のオープニングで、いつものようにアイスブレイクをしている中での言葉です。「ご活躍ですね」という私の問いかけに対しての答えで、「いいように使われてますよ」ということでした。

 

私が軽く問いかけたことに対してですので、なんの気なく、おそらく適当に答えた一言だったと思います。ですので、深い意味をその言葉に込めたということはないでしょう。ですので、ここから先は私の勝手な想像の世界の話です笑。気になったところは「使われている」という表現でして、文法的に受け身であることは、誰々に何々をさせられているということで、そこには自分が「こうしたい」という意思が表現されていないように感じました。

 

外部からプロとして会社に合流したとしても、そこで自分の意思を示し、物事を新たに変革していくことは、やはりそれなりのポジションとお墨付きと権限が備わっていないと難しいですよね。と想像しつつ、ふと思ったわけですが、そもそも「意思」や「感情」を持つような会社や組織・人たちとの触れ合いが彼に対して起こり得たのかどうかが気になってきました。さらにこの半年はテレワークでおおよそリモートだったとしたら、尚のこと触れ合う機会が少なかったようにも想像します。

 

確かに論理的にこうすれば、きっとこうよくなるだろう、という世界を描くことはできるでしょう。ですが、そこに長く勤めての会社への愛着のような感情だったり、みなさんがこれで幸せになるだろう、会社が良くなるだろうという、貢献したい気持ちが果たしてあるのか。オーナーシップはあるのか。自分の意思を持てるのか。誰かに「こうして」と言われたことを実現する役割となるのか、もしくは自分が「こうしたい」から頑張るのでは大きく異なるように思います。確かに与えられている役割は、そんなオーナーシップや感情なんて、もしかしたら必要ないのかもしれません。ですが、本当に物事を回していくには、どうしてもそうした自分の内側から湧き起こってくる何かがないと頑張れません。

 

ということですので、自分たちはどうあればよかろうなのかを自分の頭で考え、心で感じ、物事を動かすところまで頑張れるのか。失敗するかもしれないことに、飛び込んで行って周りを巻き込めるのか。そういうところが大切なんだろうなということを、「いいように使われてますよ」という表現から考えてしまったわけであります。

 

誤解の無いように、改めて書きますが、彼がよい・悪いということを言いたいわけではございませんので笑、そこのところは適切にご認識いただけましたらと思います。年の始めに思うこととしましては、昨年は「何か正しいことに照らし合わせて正解を導き出した」というよりは「自分の頭で考えて、気持ちを感じとりながら判断した」ように思います。そして、誰かに「使われた」という感情は全く感じておらず、そういう意味では充実した1年だったと改めて振り返りました。本年も「よいように」ありたいと、令和3年の元日に想いを整理しようと思いました。