manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

世界の捉え方と振り返り

みなさん、こんにちは。

 

年の瀬につき、本年の取り組みの振り返りをしていただく機会がありました。いつもお世話になっている組織人材開発コンサルタントの方との会話です。幹部のとある方についての会話の中で、「自分の外に世界があるような感じでしょうか」と表現をしていただきました。うーん。哲学的で、よいですね。

 

最初にお伺いした際には、何のことなんだろうと、ハテナな感じでしたが、よくよく話をしていくうちに、なんと絶妙な表現かと腑に落ちてきましたので、この場で振り返りたいと思いました。さて、「自分の外に世界がある」ということは、どういうことなのでしょうか。

 

私たちはこの世に生を受けて生活を営んでいるわけですので、世界は確かに外部に存在します。ですが、自分を通じて外界と繋がっているわけですから、一方では自分の中にも存在するとも言えると思います。世界を感じるのは自分というわけです。

 

さて、事業を営む、生活をする中で、他者と考えを100%のレベルでシンクロナイズして生きていくことはできませんので、どうしても軋轢だったり、不満を感じることが起こってしまいます。例えば、何かを誰かに言われて、とても腹が立ったとしましょう。そんな時の問題の捉え方として、「あいつが悪い」と外に原因を置いてしまうことを指して、「自分の外に世界がある」と表現していただいたわけです。反対は「自分の中に世界がある」ということで、彼の言葉をそう感じてしまった自分にも原因があるとなります。もう少しいうと、腹が立つことを言ったという事実はあるものの、彼にそれを言わせる気持ちにさせた原因はもしかしたら、自分にもあるかもしれません。

 

ここで捉えたいことは、「全て自分の中に原因がある」と釈迦様のようにあればよかろう、ということではありません。ですが、関係性が悪いのは双方が発する言葉と双方が受け止める受け止め方、加えて、歩み寄る対話ができないためであります。何を言いたいかというと双方が悪いということでして、今回の話と重ねると双方が「自分の外に世界がある」となります。

 

確かに、その方を観察をしていますと、外界と接し、自分が好ましい言葉を捉え、うまくいっていると思い(また、周囲がそう思わせるのも上手だったりします)、自分の捉え方が絶対に正しいと捉えているように見えます。逆にいうと、感じたことを言語化したり、他者と論を重ね、正解のないなかで、よりよい答えを探っていくようなアプローチも見られません。そして、私の大好きな振り返りもしていないようにも思います。逆説的ですが、世界が外にあるとすれば、振り返りはあまり意味がないかもしれません。なぜならば、自分を振り返ったところで、世界は変わりませんので。

 

と、まぁ、ここまで整理できたところで、今年の施策を振り返ってみますと、やはり目標が高すぎた、ということになるのだと思いました。自分たちのレベルに合った目標設定と小さな一歩をセットすべきでした。加えて言うと、「うまくいかないからやめてしまおう」「施策が間違えていた」ではなく、継続し改善していくことです。地味ではありますが、私からの働きかけも継続していきたいと改めて思いました。とはいえ、難しいですね笑