manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

正しいことを正しいように

みなさん、こんにちは。

 

若かった頃の話です。経営企画なんて部門にいたものですから、あるべき論を妙にかざして、社長の権限を盾に「どうするんですか」と事業責任者に迫っていました。その責任者は当然ながら、あるべき論はわかっていながらも、さまざまな制約があるので、こちらの主張のようには対応できません。ですので、陰では「あいつはダメだ」とか「大したことはない」と言い放ってしまっていました。あまりにも若すぎて、今にして振り返ると反省しかないのですが、おそらく今でも若い経営企画の誰かは同じことをやってしまうのではないかと想像します。逆に考えると、そう言う人たちは大きな会社にはいてもよいのかもしれません。

 

さて、話が変わって、今の会社での出来事です。先日、あるトラブルがありました。担当役員の私と関係部門で協議をしようと思っていたところです。気になった社長から自分も入りたいと言うことでした。関係部門の部門長や課長は嫌がっていますが、入りたいと言われれば仕方がない。と言うことで、会議が始まりました。

 

予想していたことではありますが、案の定、正しい指摘が正しく入ります。批判も入ります。見ていると段々と部長も課長も社長の前なので抑えてはいるものの、頭から煙がぶすぶすと出ています。このふたりはとても大人ですので、とても穏当に自分の考えや主張を控えめに繰り出します。ですが、社長はあまりそちらを受け止めることはできずに、社長の目線で正しい主張を重ねていきます。

 

見るに見かねて、双方の主張を和らげて、社長のお考えはこういうことですよねと伝えつつ、部門の制約事項としてこう言うことがありますよねと整理し、対応策はこういうことで、と場をクローズしました。さて、冒頭取り上げたように、社長ではなく経営企画の若造が理屈として正しい青年の主張を正しく述べることと、社長が正しすぎることを逃げ場なく追い詰めていくことには劇的な違いがあるように思います。

 

若造は社長の権力を盾にしようがどうであろうが、所詮は会社の中では下っ端です。受け止める方も、その前提で聞くでしょう。立派な事業責任者であれば、真摯に受け止めてくれることもあるでしょう。あくまで判断の主体は自分で、自分で考えた上での結論です。一方、社長という会社で一番偉い人に頭を押さえ付けられて、こうあるべきだよね、ということを言われたとして、更にそれが自分の考えと異なる場合はどう感じてしまうのか。

 

私が懸念してしていることは、社長は良かれと思い、指導だと思い伝えていることに対しても、受け止める側がそのように捉えられずに、嫌われて終わる。社長の方もエネルギーを使って指導しているわけですから、その結果がこれであれば、あまりに切ない。言うべきことを、いうべき役職から、適切に伝えることの難しさを感じる出来事でした。