manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

好きか嫌いか

みなさん、こんにちは。

 

とても原始的な話として、上司や部下が好きか嫌いかというところは、よい仕事をするために大切なことだと思います。同じように、嫌いな部門からの依頼はやりたくないとか、あの役員の言うことは聞かなくてよいとか、子供っぽいことこの上ありませんが、普通に起こり得る出来事だったりします。いわゆる大きな会社であれば、それが静かに行われていますが、我々のような中小企業では割と身近に激しく転がっているように感じます。

 

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという諺があるように、発言した本人がそんなつもりも無いような程に悪い方に拡大解釈していたりします。いくつかのステップを経てここに至るのでしょうが、ちょっと行き過ぎているようにも思います。これは双方に問題があって、言う方はあまりに配慮なく、また、どのように受け止められるかを想像することなく、ありのまま。逆に、聞く方は、被害者意識も自意識も高かったり、自分の中の正義の価値観に合わない事に対して、ぶりぶり怒っています。「嫌い」な方に感情が倒れてしまっています。うーん、こうなってしまっては、関係修復にはかなりの手間がかかります。気が重い。

 

それはさておき、好きになるのも、嫌いになるのも理由があります。発言に配慮があるのかどうか。相手のことを思いやっているのかどうか。信用できるのか。お世話になっているのか。よい人なのか。優しいのか。好きになるにも色々ありますね。ここはサイエンスでは無く、アートなんでしょう。論理よりも感情ですね。一方で、嫌いになるには、何が明確な理由があるように思います。好きに不思議の好きあれど、嫌いに不思議の嫌いはないのではと思います。何を言っているのかというと、嫌われるには理由があるということです。つまり、分析をすれば、嫌われない振る舞いであったり発言は身につくが、人に好かれるような行為はあまり分析に意味がない。

 

さて、本来であれば、チームとして仕事をすべき集団が好き嫌いによって分断されてしまっているところに話は戻ります。正直なところ、この手の好きと嫌いでここまで苦しむとは思っていなかったのですが、組織が人の集団である以上これは避けられないのでしょう。嫌いの元になっているところを潰そうが好きに転じてくれるわけではないので難しい。とすれば、残された手は何なのかというと、難しい仕事を通じて信頼関係を取り戻したり、トラブルを乗り越えたりとするしかないのでしょう。ですが、嫌いな関係の中で、難しい仕事やトラブルに向かえば、結果、上手くいかなかったりするようにも思います。順番が逆で、仕事がうまくいけば、好きになってくれるかもしれないというところでしょうか。

 

結局のところ、人柄を飾らず出してみて、それで嫌われるのであれば、止む無しということなのかもしれません。この観点で言えば、もはやいい歳の大人になってから、好きになってもらおうと人格や魅力を磨こうとしても手遅れなので、やはり若い頃に苦労をして渋味を身につけたり、辛いことを乗り越えて辛いことにさらされている人の気持ちがわかるようになったり、多様性たっぷりの仲間と大きな仕事を成して、多様性の素晴らしさを感じたり、等々、若い頃の苦労は買ってでもしなさいということは正しいのかもしれません。ただ、苦労をして、人間関係が構築できない・深まらない苦労は少し違うのでしょうが。。。