manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

知力と魅力と集団

みなさん、こんにちは。

 

改めて思うと不思議なことなのですが、知力が高いことがすなわち優れているという感覚を持っている人が多いように思います。かく言う私も出身は地方で、小中高とよくできる子だったように思います。学校のテストだったり、素行がよかったり、先生の評判はよいわけですが、必ずしも大衆(学生)の人気を掴んでいるわけではありません笑

 

さて、そのまま大学まで卒業して、会社に入り、チームの一社員として、仕事をするわけですが、そこでもやはり色々な物事を知っていること、そして、素行のよいことが高い評価を集めます。素行のよいことは、上司の指示を聞き、言われた時間内に言われた以上の品質でアウトプットすることです。

 

これらの経験で知っていることが価値がある、指示に従うことが価値があることを肌で感じます。そして、会社で経験を積み、役職の上の方と話をすると、その方は多くのことを知っていて、賢い。これらの仮説が正しいことの裏付けとなります。

 

ただ、それは観察者側がそう見ているだけで、必ずしもそうではないと思います。役職が上位になれば、とても幅広い担当になるので、知っていることだけでカバーできなくなり、知っていること、よりも考える力の方が大切になります。また、役職が上になれば、率いる人員が多くなるので、素行がよいだけでは人を引き付けられません。むしろ、上司の言うことを聞きすぎるだけだと、部下からは嫌われてしまうかもしれません。

 

冒頭の話に戻って、学校で学力も運動能力もそれほどでもなく、また、先生に気に入られているわけではありませんが、何故か周囲のみんなに人気があった人がいたと思います。役職が上になると、いろいろな技で人を魅きつけることが大切になってくると思います。それは知力であったり、リーダーシップであったり、愛嬌であったり、胆力であったりします。これらの力を養うことが、よい人生を過ごしていくには実は大切なのではないかと思いはじめました。

 

どうしても成し遂げなければならないプロジェクトで屍を超えて、周囲に嫌われるがどうしてもやらなければならない指示を果たすために、本来はやりたくない汚れ仕事をする。こういうことは確かに組織のためには必要に思いますが、果たしてそれでこれらの能力が高まるのかどうかと言うと疑問です。むしろ、こういう苦労をしたり、汚れたのに評価されないという不満が本人には残るかもしれません。

 

ただ、これらのことも最終的には本人の判断で選んで実行するしていることとなります(たとえ命令に従わされたとしても)。集団を率いる立場でなければ、これらの能力が高まっていたりしなくとも、知力だけでも困ることはないでしょう。ただ、集団を率いていく上では、最終的にモノをいうのは魅力であり、つまるところ人間の力を磨いて、この人についていこうと、思わせる力と身に付けないといけないということなんでしょうね。

 

いやぁ、難しい。