manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

正解を当てにいく

みなさん、こんにちは。

 

以前、藤原和博さんの講演に参加させていただきました。とても印象的なお話でしたので、講演の内容はいろいろと記憶に残っていまして、その中でも学校教育についての話が特に刺さりました。学校の授業風景を思い描き、先生が生徒にどのように問いかけているのか?と参加者に問いまして、そこから学校教育についての考察の話が始まります。

 

先生から生徒への代表的な問いかけは「わかる人?」ということです。実際にそのように問いかけられていたのかは私の記憶にありませんが、なんとなくそうだった気がします。答えがわかっている人しか手を上げにくい問いかけです。答えがわかっていなくて手を挙げられるとすれば、それはそれでとても太い感じで、むしろ好ましかったりしますが、普通は間違えていたら、わかってないじゃん、ってなりますので、わからない人の手は上がりません。

 

先生は限られた時間の中で授業を終えなければなりません。なぜ?なぜ?と質問してくる面倒な生徒に関われる時間も限られます。そういえば、高校時代になぜなぜと問いかける同級生がいたのですが、わかるまでに時間がかかるので、すこし冷たくされていたことを思い出しました笑

 

話を戻して、「わかる人?」の裏にあることは「わかっていること」が価値であるように受け止められてしまうということです。ということで、皆さん、答えを知りに行こうとします。答えを事前に知っていようが、考えて思いつこうが、外から見れば、どちらでも大差ありません。どちらかというと、答えを知っていることよりも、わかるための努力をしたり、正解を導き出すための工夫をしたりすることの方が大切なのですが、そこにはあまり焦点が当たっていないように感じられてしまいます。

 

ということで、近年は「わかる人?」教育からは少し改革がなされているそうですが、過去、そういう教育を受けてきた人たちはなかなかそう簡単には変化できません。皆さん、どこかに正しい答えがあり、それを知っていることが偉い。そして、その正しい考え方がわからないヤツが悪い、そんなコミュニケーションが横行しています。もうちょっというと、偉い人が正し答えを持っていて、その答えを当てにいく、ような発言もあったりします。「誰々さんはどのようにお考えなのだろうか?」

 

逆側からみれば、その偉い誰々さんは、見ている範囲が広いので特定のことに対して、そんなにこだわりが強かったり、意見を持っていなかったりすることもあります。にも拘わらず、結構な時間をかけて、その答えの想像に時間を費やしたりしてしまいます。

 

グダグダと書いてきましたが、正しい答えかどうかは実はそれほど重要ではなくて、物事がよい方向に進んでいるか、よい方向に動かせているかが大切だったりします。ということで、物事を動かしたり、施策を回したりする力の方が社会に出た後は役に立つ、ですが、これはなかなか教えにくく、訓練しても、能力が身についたかどうかは判定しにくく、結果、学校という場で教育していくには向かない、ということになるのでしょうね。

 

では、そういう能力は何で培われるのか、ですが、やっぱり生徒会だったり、部活だったり、アルバイトでリーダーをやったりと、そういう経験が重要なのでしょう。正しい答えを知っていたり、頭がよかったりしても、ヒトと組織はそんなに簡単にはマネジメントできないということでしょうか。