manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

感情の正体

みなさん、こんにちわ。

 

いつどこで読んだのか記憶にありませんが、「施策が理に寄り過ぎていると感じた際は、情に気を配るように」という言葉がありました。その際は「ふーん、そうなんだ」くらいに思っていました。いつも同じですね。そして、みなさんご想像の通りに、理で構築した施策を推進した訳ですが、感情面への対応が上手にできなかったのでしょうか、成果創出の観点では、そこまで成功したと言えるほどではなかったように思います。

 

この話には幾つか論点がありまして、ひとつ目は理が通らない施策が存在するのかという点、もう一つは「情に気を配る」ということがどのような行動となるのかです。そもそも施策なんて、こうすればこうなる、という仮説があって、提案して、やってみて、さぁ、どうだった、というようなことだと思っていました。ただ、これは我々が思っていただけで、必ずしもそうではないことがいくつかありました。理に寄るのではなく、何に寄るのか。答えは「感情」です。そう、これが私にとってはとても気持ち悪いことでした。首を傾げてしまいます。えー、それで判断しちゃうの?!びっくり。という感じです。

 

次にもう一つの「情に気を配る」です。こちらはもっと筋が悪くて、そもそもみなさんの意見を聞いたところで、決まったことは変えられないし、感情を理解したところで、何か得るものがあるのかどうかもわからない。元来、無駄なことが嫌いな性質ですので、ついつい避けて通ってきたように思います。

 

理は大きな組織で、枠組みを固めて物事を動かしていくにはとても大切なことです。理がなければ、拠り所が定められません。ただ、組織で働くみなさんは単なる機械の歯車ではなく、人ですので、感情があり、大切にしている気持ちがあります。先日、とある施策で、あぁ、失敗したなと思い、リカバリーになればと思い現地を訪問し、対話をした所、感情面の話が大量に出てきました。そう、そして、その対話に必要な応対は感情的であるべきで、私も感情を表現できたように思います。

 

結果、うまく転んだのかどうかは、よくわかりませんが、今、振り返ってみると、なるほど、そういうことだと気づきました。理屈では、これが正しい。じゃぁ、あなたはどう感じているのか。感情などは、ロジカルな世界では不要なものだと思っていましたし、突き詰めていくとそれはそれで正しいと思います。ただ、施策の実行局面では必ず感情と対峙する瞬間が出てきます。その際に、「あ、そんな気持ちもわかります。でも、決まったことですから」と軽んじるのではなく、矛盾で解けないことと承知しつつも、感情を深く理解し、その上でこちらの感情を示してみることで、理の施策に魂が灯るような感じがします。割り切れるキレイな世界では無いし、相互にスッキリしないし、わかり合えないとしてもです。折角の機会ですので、感情の正体を突き止められるよう、もう少し一人ひとりを観察してみたいと思います。