manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

評価と報酬

みなさん、こんにちは。

 

私の所属する会社では6月と12月に賞与が支給されます(もちろん、でるならば、です)。金額が増えた方もいらっしゃれば、金額が減った方も当然ながらいらっしゃるでしょう。あまり直接的には気付きにくいかもしれませんが、上司という「人」が部下という「人」を評価して、その結果として賞与が支給される訳でして、不完全な枠組を元に支給されています。何を言っているかというと、人が人を評価することそのものが不完全な枠組ということで、ただ、最終的には金額となり、デジタルで表現されます。ここに歪みが生まれます。勘違いも生まれます。

 

日頃、優しくて、気配りの上司が、実は評価は辛くて、賞与が少ない。その逆に、日頃は少し嫌なヤツでも、評価は甘くて、賞与が多いことがあるかもしれません。また、バックオフィスのスタッフは売上のような目に見えてわかる成果がないため、前期比に連動した小上下するような方もいらっしゃるでしょう。

 

また、評価される側は当然ながら自分の評価が気になります。部下側はいつでも全力で頑張っていますので、評価されなくて不満があっても、評価されて感謝することはあまりないでしょう。そんな光景はあまり見たことがありません。生々しく金額を見せ合うようなことは日本ではあまりないかもしれません。シンガポールではみなさん見せあっていました。10年以上前のことですので、今ではそんなこと無いかもしれませんが。支給された金額を見て、ぼんやり思います。この金額はどんなものなのかと。上の方からは、やれ原資が、評語が、前年比で等々いろんな声が聞こえて来ます。でも、そんなことはあまり関係なくて、周囲との比較だったり、金額の絶対額によって、非常に曖昧な形で感じ取るしかありません。

 

この「曖昧な形」というのが絶妙でして、はっきり表現できないことをよいことに、上司の側としては、曖昧なままにしておくことができます。あまり差を付けなかったり、前年比で数パーセント増減で、これを会社基準に合わせるとか、そんな対応です。モチベーションも何もあったものではありませんが、前例踏襲でそのように繰り返されて来ている職場がそれなりにあるように思います。前例踏襲でなければ、説明を求められ、説明で納得なんかさせられないので、ちょっと保守的になってしまいがちなのでしょう。

 

上司が一生懸命に考えて、支給額を工夫しても、受け取る側が「おおー」と思うような金額で表現されなければ、全くの無駄な行為となってしまいます。ただ、妙な工夫をして、すごく時間がかかってしまったりします。

 

煎じ詰めると、一生懸命に働いてくれて報いたい方に報いることを優先するのか、前例踏襲でみなさんに平等に配るのか、どちらを選ぶのか。前者を選ぶなら、中途半端に差をつけても意味はなくて、どーんと差をつけるのがよかろうと思いました。年に2度のことではありますが、実は結構な重要イベントなんだと、みなさん認識しましょう笑。そうでなければ、評価工数をたんまりかけて、大騒ぎして、実施しているのがとても勿体ない。