manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

足らないを知る

みなさん、こんにちは。

 

この数日、すこしドタバタしまして、なかなか落ち着いて振り返る時間が取れませんでした。事件があったり、移動があったりすると、集中力が落ちるので、ダメですね。

 

最近、課長の皆さんと360度フィードバックの面談をしています。一括りに課長といえども、十人十色。悩みも性格も違います。当たり前ですね。自分に対する向き合い方、上司との関係性、部下に対する求心力、様子はさまざまです。はい。私もそうでしたね。仕事や成長がうまくいった部下たちもいれば、そうでなかった部下たちもいたように思います。上司も同じですね。意見を聞いてもらえた方もいれば、あまりうまくコミュニケーションできなかった方もいます。加えて言うと、課長時代は毎日忙しく過ごしていたので、あまりきちんと振り返りを入れられていなかったように感じます。

 

本題の360度フィードバックです。内部から見ている自分の像と外部・他人が見ている自分の像の一致とズレについて、振り返りのための会話をします。像が異なっていて当然なのですが、劇的に違うという指摘のコメントもなかったりします。結果、自己認識と外部の評価が変わらないという感想も多くあったり、「自分はこういう人間なので」と、外部からどう見られていようが関係ない、という発言もあります。まぁ、そういう意見があってもよいとは思いますが、自分を固定してしまっていることは少しもったいないように感じます。

 

さて、周りが見ている自分の像は何で作られるのでしょうか。その人の発言だったり、行動だったり、表情だったりを第三者が見て、感じる印象が像に投影されるわけです。当然ながら、2つの像が一致していれば、こういう風に取られるだろうと思って取った行動が、意図の通りに受け止められているので、よかろうなのですが、果たして、「よかろう」だけでよいのでしょうか。

 

「課長」というところが、微妙なところで、これ以上、ポジションをあげようとすれば、自己評価と他人の評価が一致してしていて安心している場合ではありません。また、課長としてこういうことをしていてほしい、と思うところが、そうではないと書かれていないところも気になります。ポジションが上がりたければ、求められる行動も評価も変わらなければならないハズなのですが、なかなかそういう評価はありません。

 

まぁ、質問が今に焦点を合わせているので、仕方ない面はありながらも、集めるコメントに工夫が必要だったかもしれません。

 

あと、みなさんから「足らないを知る」ことに対する恐怖感が伝わってくるのはなんとかしたいなぁと思いました。そのときは「グッとくる」のですが、結果、よかったなぁと思う事が多いのですが笑。人間ですから、傷付きたくないので、気持ちはわかります…。