manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

自己評価とフィードバック

みなさん、こんにちは。

 

通知表の続きです。学生の頃、通知表をもらいました。そう言えば、その後、先生からフィードバックを受けることはなかったように思います。親からは、アレがダメ、これがダメといろいろ言われましたが笑。でも、これはダメだと言っているだけなので、フィードバックではありませんね。

 

さて、会社では、業績評価や人事考課があります。その際に自分はこれだけの事ができた!と主張する欄もあったりしました。自己評価の欄ですね。そういえば、入社一年目の際に、私が控えめに自己評価を記載していたことに対して、「こういうのは全部、高い方に付けておくんだよ」と有難いアドバイスを上司から頂いた記憶があります。

 

この時は気付けませんでしたが、上司がこう言っていることで、もはやこれは業績評価に使ってはいない事を物語っています。では、何故この自己評価欄があるのか。会社として、被評価者の言い分を聞く場を設けている姿勢を示さないといけないという側面もあるでしょう。ただ、これは評価において本質ではありませんね。

 

次にフィードバックについてです。以前、課長試験の選に漏れた際、上司からの有難いフィードバックをまったく有り難くなく受け止めたことを書きました。人間って、そんな生き物です。よほど上手に対話しなければ、ありがたく受け止めてもらえないでしょう。

 

では何故フィードバックするようなガイダンスが会社からあるのでしょうか?上司からの評価をきちんと部下に伝えておく事は必要でしょうが、自己評価と同じように、本質は違うように思います。

 

自己評価にしても、フィードバックにしても大切なことは、そこに納得があるかどうかです。納得の源泉はどこにあるのか。それは日々の対話とフィードバックしかないと思います。以前も取り上げましたが、自分のことをあまり見ていない監督に評価されようが、されまいが気になりません。ただ、自分のことを見て、気にかけてくれている人があなたのここが評価できないと言われればどうなのか?それは人間であれば、さすがに気にせざる得ないわけです。

 

そういう関係があって初めて、自己評価とフィードバックが機能します。この信頼関係が無く、形式的に自己評価とフィードバックがあるなら、それは少し違うと思います。

 

我々はどこを目指し、どう変わっていくべきか。ここの合意が上司と部下でなされていなければ、自己評価もフィードバックも意味が無かろうということを感じています。