manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

塩を抜くのか、そのまま食べるか

みなさん、こんにちは。

 

唐突ですが、「塩を抜く」と言う言葉をご存知でしょうか。私はどこかの記事(すいません、忘れました)で読み、知りました。役職定年・定年退職した方が、新たな職場にて、以前の偉いポジションと同じように振る舞い、不評を買うことが多いそうです。そのような方を指して「塩が抜けてない」と表現されていました。

 

魚も漬物も塩が抜けきっていないと、塩辛すぎて食べれたものではありません。扱い辛いことを指して、そう概念化したのでしょう。お上手ですね。

 

さて、そのような方は我々の職場にも当然のようにいます。観ていると、ご当人のみなさんは塩を抜いたおつもりの様子ですが、周りからはそう見えていません。

 

当人からすれば、同じことをしているのになぜか給料が下がっている。年齢が一定のところを超えたから処遇が下がるというのも、まったく納得感がないでしょう。その不満な状態を飲み込んでお仕事しているわけなので、それは塩が抜けるわけがありませんね笑

 

使う側からすれば、昔は偉かったのかなんなのかはまったく関係がありません。なんか態度のよくない、年配の扱いにくい部下がいるとかそんな感じです。また、歳や見かけほど成熟してなかったりするかもしれません。

 

いったん立ち止まって考えてみると、この状況を変えていくには、双方が建設的に歩み寄る以外に道は無いように思います。使う側が、「いやー、さすがですね。スゴイ!」と持ち上げて、使われる側も「なんでも、頑張ります!」という姿勢になれればよいのですが、双方、人間なのでなかなかそうは振る舞えません。

 

と、嘆いていても仕方ありませんので、さて、どちらに手を入れるのがよいかを考えてみたいと思いました。私の意見としては「使う側」を進化させるのが近道だ、です。一度、塩の着いた方に「変わって」いただくのは、おそらく相当難しいことだと思います。多少しょっぱくても食べるような環境を作ることが必要でしょう。

 

もう、周りが忙しくて忙しくて猫の手も借りたい。少しでも何かをしてくれれば、「ありがとう」と感謝される。昔、職場で経験した体験を元にした知恵が有難い!そんな職場です。人間、もう死にそう、となれば、しょっぱくても食べるでしょう。

 

という事で、何が言いたいかというと、塩を抜くことに大枚をはたくのならば、もう「忙しく死にそう」という職場を探してきて、そこに放り込むことにお金を使うべきだと言いたいわけです。そもそも、人を訓練したり、働きかけたりして、人が変わるなんて、そんなによくできた人はほとんどいないでしょう。環境を変え、周りに適合する努力とその努力が報われたという実感を持てて始めて人間が変質できるのでは無いかと思います。

 

かく言う私も、たぶん結構変わったと思います笑