manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

キレイな人

みなさん、こんにちは。

 

ひと昔前に「キレイなお姉さん好きですか」というキャッチフレーズのCMが流行りましたが、今回のお題はそのキレイではありません笑。先日、組織人材開発の有識者にアドバイスをいただく機会がありました。そこで出た一言で、マネジメントチームのひとりを指して、「あの方はキレイすぎる」と評していました。

 

うーん。唸ってしまうほどの見事な概念化です。評されたその方は言うことが正論でキレイです。主張もあるべきを語るので、こちらもキレイです。生き方や哲学を語ってもキレイでした。

 

はい。それ自体は悪いことではないと思います。ただ、組織運営や事業にはそれだけでは済まない所は当然ありますし、有事の際にキレイごとではみなさんシラケるでしょう。

 

逆に正論を言うべき時もあるでしょう。従業員にビジョンを語り、向かうべき方向を示す際には正論であり、キレイであった方がよいでしょう。

 

ポイントは「キレイが『すぎる』」ところなのでしょう。バランスがよくない。ここはキレイじゃない方が響くのになぁと言うシーンでも、そこはキレイに突っ込んでも答えは出せないなぁと言うところにもキレイに飛び込んでいきます。

 

では、何故キレイなのか。おそらく、本人には自覚がないように見えます。素の状態であり、ワザとキレイでいようとしているわけではないように感じます。きっと、過去カッコよく上司にもお客様にも正しいことを正しいと言えてきたのだと思います。また、そこでの成功体験もあるのでしょう。このことも素晴らしいことだと思います。

 

ただ、マネジメントチームの一員で、こういう状態なのはどうなのでしょうか。過去、何人かの社長をサポートしていた際に、確かにキレイな社長もいました。とても真面目な会社なので、幹部から従業員までそのキレイさに向かいます。悪く言えば、振り回されます。できもしないキレイなことを言われてしまうわけですから、当然そうなりますね。そういえば、副社長からそうならないように経営企画がちゃんと指導しろよ、と言われたことを思い出しました。ご想像の通り、当時は未熟でしたので、そこまで至れませんでしたね。また、「水清ければ魚棲まず」という故事成語を使って、ある人が有る人を評していたことも思い出しました。

 

少し話はそれますが、学校教育にも起因するところもあるようにも思います。道徳で教わります。先生のお気に入りの「よいこ」は正しいことを言ってしまいます。確かによい世を作るには必要なんでしょうが、そればかりでは息苦しくてたまりません。

 

話を戻して、経営企画時代には手が届きませんでしたが、今回はマネジメントチームのひとりとして、このキレイに向き合わないといけません。より深く観察をして、作戦を立てて、働きかけていきたいと思います。