manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

場への向き合い方と成長

みなさん、こんにちは。

 

中学生の次男坊が競技スポーツで南関東大会で勝利し、本日、全国大会の決勝戦でした。結果は準優勝で、惜しくも優勝は逃したものの、この一連の戦いに挑む中で、彼らは確かな成長を遂げたように感じます。味方を鼓舞し、引き離されそうになったタイミングでの守備で、「俺たちに任せろ」と言い、守り切ったシーンもありました。

 

さて、職場に目を向けまして、4月から期が始まるみなさんは今のシーズンから昇格試験の時期に入ると思います。その場を通じて、成長できるかどうかが、次のポジションで活躍できるかの大きな分かれ目です。果たして本気で取り組めるのか、今の役職のこれまでの目線と異なる視座を持てるのか、こちらの期待を超えてくるのか。上の立場からすると、よい場にして欲しいと思う気持ちでいっぱいです。

 

冒頭の次男坊のスポーツの話に戻りますと、正直、大人からすると、中学生の競技スポーツで勝とうが負けようが、まだまだ人生は長いですし、高校生やプロの一歩手前で勝負する機会はあると思います。ですが、彼らは本当に真剣に向き合い、時には勝って、時には負けて、嬉しいことも悔しいことも真正面から受け止めています。勝った時は心から喜び、負けた時は心の底から残念に感じています。これらは、彼らの魂をかけて、そのスポーツに取り組んでいるからなのでしょう。

 

一方で、昇格試験に挑んで、仮に合格したり、不合格だったりした際に、どのように結果に向き合っているかというと、多くの人は面接官が悪かったとか、上司が悪かったとか、育成が悪かったとか、自分の他に理由を探しているように感じます。いやいや、みなさんの人生のうち、多くの時間を使っている会社で、真剣に向かい合った昇格面接の場での合否の受け止め方ですから、これではもったいない。

 

そういえば、私自身も課長に昇格できなかった時に、同じように自分には原因を求めなかったように思います。確かに、会社での評価や昇進は複合的なものです。仕事で成果を出しているといかに自分が思おうが、評価する側が昇格させようとしなければ、そういう機会は与えてもらえません。また、人事制度での制約や会社業績との関係で昇格できないこともあります。

 

ですが、昇格できなかった場合はそれを真剣に「悔しい」と受け止める方が成長につながると私は思います。人生において、自分自身を見つめ直す機会はそうそうありません。残念な結果であった時ほど、その機会に向き合って、自分が新たに身につけるべき能力や成長させるべきことを考え、それらに取り組めれば、たとえ昇格できなかったとしても、過去の自分よりも大きく成長できるでしょう。ついでに言いますと、そういう過ごし方をしていれば、昇格できた際には、心の底から喜ぶことができる「おまけ」もついてくるのではないでしょうか。煎じ詰めると、物事には真剣に向き合ったほうがよいという当たり前の結論に帰結するわけですが、若い頃はそういうピュアな心で向かい合えるのですが、歳を重ねるとなかなか難しくなるのかもしれませんね。