manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

お手伝いさんのいない家

みなさん、こんにちは。

 

日本ではあまり見られませんが、私がいた当時、シンガポールではメイドさんを住み込みで雇用している家が多くありました。掃除や洗濯、子守りなど、住み込みでお世話する役割です。アマさんと呼ばれていました。多くはフィリピンだったり、インドネシアだったりから来ていたようです。人道的にどうかはさておき、ありふれた光景でした。日本人家庭ではあまりなく、欧米人や豊かなシンガポール人の家庭での景色です。

 

確かに、家事育児を手伝ってくれるのはとてもありがたいことですが、日本ではあまり見かけない光景ですね。自分たちで担うことが当然とされています。目線は変わりますが、もう少しだけ踏み込みます。我が家の長男は中学受験をしたのですが、その勉強も家で親が面倒見てくださいということで、当時は私の多くの時間をそこに費やしたことを記憶しています。ただでさえ塾代がかかっているので、その上に家庭教師を雇って面倒を見てもらうなんて余裕はありません。ですので、中学受験の勉強をわざわざしてまで、親が噛み砕いて教えるようなサポートをしていました。正直に言って、とても辛かったです笑

 

さて、社会や家庭のありかたについて論じるのはこのブログの本旨ではありませんので、企業・組織に話を移しましょう。先日はお手伝いさんが多いが故に発生する当事者意識が行方不明になることについて触れました。本日はお手伝いさんが雇えない中小企業の景色になります。外部の専門家を潤沢に雇うことなど当然できません。また、社内にもそんなに優れた方がゴロゴロ転がってはいません。いても、何らかの仕事がパンパンにアサインされていることが多いわけです。

 

ですので、一般の家庭で言えば、掃除・洗濯・育児など、定例的で必須の事柄に追われていることになります。余裕がない状態、今時の言葉で言えば、ワンオペとなるでしょうか。職場でみなさんがワンオペとなっていて、そこにお客様や上司から次から次へと新たな指示が来れば、それはもう相手にしていられないとなるでしょう。

 

とはいえ、上司からすれば、ミッションを背負っていますし、お客様からすればお金を払っていますので、頼んだことはやってもらわないと困ります。ですが、もう毎日生きているだけで精一杯なみなさんに、どうすればことを成させる状態に持っていけるのか。

 

一見、とても無理筋な営みに見えますね。ですが、家庭では旦那さんや祖父祖母、そして時がたてば子供も新たな労働力になるでしょう。彼らに気持ちよく手伝ってもらうような動機付けと環境作りによって、ワンオペ状態から脱することができるかもしれません。会社の場合、極端に言えば、社長や役員がパンパンに忙しい、という状況ではないでしょう。部長職もそれなり時間があるように思います。ですので、部下に振る仕事をコントロールしたり、自分でできることは自分でこなすことで、部下への負荷を減らすことができるかもしれません。

 

これは不思議なもので、豊かであろうがなかろうが、お手伝いさんがいて一度何かを頼んでしまうと、もはやお手伝いさんのいない生活には戻れない。麻薬のように、一度味わってしまうとそれなしでは耐えられない。本当は自分でもできるようなことも誰かにやってもらわないと困ると抜けられなくなってしまいます。豊かであれば贅沢してしまうのは人の性質ですね。

 

一見、お手伝いのいる家は豊かで羨ましい。ですが、苦労して、工夫して、ことをなしていく力はお手伝いさんのいない方が磨かれます。このブログを書き始めた当初に、役員が役員の仕事をきちんとできているのかどうかについて触れました。これも、一定以上の豊かさの上に成立することだと改めて認識した次第であります。富んでも、お金を適切に使わないと、無用な贅沢をした瞬間から劣化がはじまってしまいますね。