manaou's note

後で読みたいと思うメモをノートに

アンナチュラル・グロース

みなさん、こんにちは。

 

早速ですが、山口周さんの新刊「ビジネスの未来」を読んでいます。「成長はよいことである」、そして「成長は無限に続く」、という幻想を捨てて、我々はどうあればよかろうなのかについて論じています。感じた事をいくつか。

 

少し話が変わりますが、週末にフットサルをしてきました。40代の中盤といえば、それなりによい歳なので、少し足を痛めてしまいまして、今回はそれなりのモードで参加しました。それなりに楽しめた一方で、やはりガンガン走れないと楽しめないなぁと思う気持ちが、もう一方でありました。

 

若い頃にサッカーを始めて、30歳を迎えるくらいまでは、身体的・肉体的な成長や優位性を前提としていて、鍛える方向もそちらになります。筋トレだったり(私はあんまりしませんでしたが笑)、スピードだったり、走るためのスタミナだったりが強化ポイントですね。

 

一方、30歳を過ぎると、やれ子育てだの、会社でのノルマだの責任だの、肉体的な衰えなどで、もはや維持することすらできません。そうした際に、頑張って肉体を鍛えるのか、新たな成長の方向を考えるべきなのか、答えは自ずと見えてくるように思います。生物である限りは肉体的な衰えを回避することはできません。回避できないことに、労力をかけるのか、異なる努力をするべきなのか、答えは明らかですね。

 

ただ、過去の成長が凄まじかったり、身体能力が高かったりすればするほど、それに「囚われる」わけであります。この不自然な成長に惑わされずに、我々はどうあるべきなのかを考えることが大切なのでしょう。もはや無いもの、得られないものに思いを寄せて、自分はもうダメだ、と落ち込むことには意味はなく、「だから、どうする」と考えることが大切です。

 

社会が成熟し、これまでの経済成長を前提に事業活動ができないこと、肉体的にもピークを迎え、今後は下っていく一方でサッカーに臨むことも、本質的には同じです。その制約条件の中で、豊かさを求める新たな目標をセットし、そこに向けて、自分たちが自然な成長を遂げられることが望ましい姿でしょう。

 

とはいえ、サッカーに関して言えば、基本的には「走る」スポーツなので、一定の水準で走れるようにならないとだめですし、事業で言えば、一定の利益を出すことができなければ、存続はできません。逆に言えば、これらが実現できない状態になったタイミングでライフサイクルを終了せざるを得ないというわけなのでしょう。悲しいことではありますが、それが現実で、不自然に永らえようと努力することが無理を生み出すということが真理なのでしょう。

 

あ、最後に。山口周さんの著作を読まれたことがなく、読み始めるのであれば、「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」がおすすめです。ぜひ、こちらからどうぞ。